劇場版コードギアス3部作に思うこと


**ネタバレあり。未見の方はご注意ください**

かつて最もハマった作品、そして、今後もこれ以上、繰り返し視聴する作品はないと思われる作品、「コードギアス」。かつて熱心に視聴し、ようやく冷めてきたところに映画化決定。バンダイグループの新規コンテンツの訴求不足の裏返しである。実際、「ドラゴンボール」のように、リメイクや再放送で作品寿命が伸びてきた作品は多い。単発で終わらせるには、学生/テロリスト/為政者の3つの顔を持つルルーシュの魅力は捨てがたいと考えたようだ。

・2016年執筆:夏の暑さで思い出す、コードギアスR2

第2作・第3作は必見

『コードギアス 反逆のルルーシュI 興道』は初週に見逃したところ、レイトショーの時間帯しか上映がなく、しかも感想を読んでいたら観た気になってしまったので現時点では未見だ。第2作『コードギアス 反逆のルルーシュII 叛道』は前回の反省を活かし、上映1週目に見た(→感想)。時間が長く、非常に疲れたものの、圧縮ぶりに圧倒された。別展開もありうると思った。

しかし、5月26日上映開始の第3作『コードギアス 反逆のルルーシュIII 皇道』で見事にその期待は外れた。「ゼロレクイエム」はまったく、オリジナルのテレビ版そのままだったのだ。異なる点はただ一つ、シャーリーが生き残ったこと。そして、テレビ版ラストのカレンのモノローグは一部、シャーリーに置き換わった。さらに、C.C.は荷馬車に揺れながら「な、ルルーシュ?」と独り言のように呼びかけるのではなく、ジェレミア・シャーリーからの手紙を見て、やれやれと言いながらそこに向かう……と続きを示唆する終幕となった。

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ノーマルカップリングで派閥を分けるならルルカレであり、『叛道』は良い出来だと思いつつ、冷静に思い返すと、テレビ版で好きだった回・シーンがことごとくカットされている事実に気づき、カレンの位置づけはメインキャラクターから黒の騎士団の単なる構成員に下がったのかと思いきや、『皇道』ではほぼオリジナル通りとなり、「君は生きろ」とルルーシュに言われる。似たような境遇に親近感を感じ、信頼していたとうかがえる。

同様に、R2から加わったジノ、シンクー、アーニャは『叛道』では目立たなかったものの、『皇道』では短い時間でキャラが立ち、メインストーリーに食い込んでいった。改めて『叛道』はスザクの話だったと気付かされ、誰のアイデアかわからないが、巧みな構成に驚くしかない。

劇場版で広がるゼロレクイエムの解釈

連続3部作とはいえ、興行成績や評価の点で、1作ごとに着実にパワーアップするのは難しいはず。しかし、劇場版コードギアスはいとも簡単に成し遂げ、新たな世界を提示した。1stガンダムのテレビ版と映画版の違いを手本に、より鮮明にした格好だ。

ただ、一度冷めた熱は、もう戻らない。冷静に分析する批評家の目しか持てない。冷めた理由は、Googleなどのリコメンド広告やAI認識などが発展し、同時に世界経済のバランスが変わり、「神聖ブリタニア帝国」と「占領された日本(ニッポン)」にリアリティを感じなくなり、シスコンで熱情的な革命家のルルーシュの行動は、ニュースやコンテンツが一時的に消費されるSNS時代にはエモーションが大きすぎて合わないと感じたからだ。2000年代後半、リアルタイムでオンエアされていた時は、ルルーシュの一挙手一投足が注目されていた。集合的無意識にギアスをかけた際のルルーシュの叫び、「親に捨てられたんだ」という絶望に共感する10代、20代は多かったはず。

谷口悟朗監督、大河内一楼氏のコメント(公式サイトより)


この10年間で有料動画配信サービス大きく伸びた。コンテンツ消費の王様は、ディスク(ブルーレイ/DVD)から「劇場上映」に変わった。2000年台を代表する作品として「コードギアス」は、この変化もキャッチアップする必要があった。動画配信などメディアパッケージの変化は別にまとめたい。