映画『この世界の片隅に』 生きる意味を問い直す「右手」の重み

2016/12/3 23:58 | つぶやき, 映画・ドラマ批評 | 個別URL

 11月23日水曜日、レディースディ。映画『この世界の片隅に』を鑑賞するため、池袋に赴いた。劇場は「池袋HUMAXシネマズ」。大学3年時に、夜21時から3作連続で上映された『名探偵コナン 天国へのカウントダウン』のオールナイトイベント以来の訪問だ。例え、店に入らなくとも、いろいろな街を歩くと感慨深い。どこも同じようなテナントが並ぶ大型SCより、定番のチェーン店と個人経営の老舗・新店が入り混じった都心の街のほうがおもしろい。池袋駅自体は、乗り換えで頻繁に利用している。サンシャイン方向へ出たのは数年ぶり。以前と同様、独特の雑多な雰囲気は変わらない。

 大学時代も、土日のたびに、朝5時に起床して早朝からバイトに行くなど、無茶な行動をしていた。しかし、最近の分刻みのスケジュールに比べれば、まだ余裕があった。案の定、池袋駅で数分さまよい、前日に購入したオンラインチケットの引き換えに時間がかかったため、着席して1分も経たずに映画が始まった。準備が整っていなかった冒頭の数分と、涙で正視できなかったクラウドファンディグ出資者の名前が流れたED後のシーンだけでも、できればもう一度、観たいと思っている。

がんばる自分にご褒美を―この世界の片隅にいま、必死に生きてる

仕事と育児・家事の両立を果たすため、試行錯誤した結果、睡眠時間を削り、移動時間や空き時間を最大限活用して自分の時間を確保するしかないという結論に行き着いた。しかし、「自分の自由になる時間」以上に、心のバランスをとるため、「自分の好きなものを好きな時間に食べること」を重視してスケジュールを立て、食にこだわるあまり、肝心の食事時間を確保できず、物をなくしたり、些細な仕事上のミスを繰り返したり、11月は、自己嫌悪の極みの状態だった。

 そうした中、無理やり時間を捻出し、往復の2時間強の電車内は、ほぼすべて熟睡するという体調不良のなかで観た『この世界の片隅に』は、劇場鑑賞を強行した甲斐のある傑作だった。今後、戦争と日常を描いた映画の新定番として、5年、10年と継続的に、全国各地で上映され続けるだろう。

 作中、戦うシーンはない。けれども、女性を中心に、登場人物は皆、戦争と戦っている。見えない敵、見えない終幕。やがて突然終了し、今までの延長のようで、まったく違う新しい時代がやってくる。

自分の判断ミスのせいで遭遇した不慮の事故で、娘の晴美を失い、終戦の玉音放送を聞いて号泣する径子の姿は、このまま無理を続けても、さらなる痛みと悲しみを招くだけと、本質を見失っていた自分の愚かさを気づかせてくれた。

 2001年、声優の高山みなみさんの舞台挨拶につられ、東京都写真美術館で『アリーテ姫』を観て衝撃を受けた。サントラも一時、リピート再生していた。片渕須直監督の名と経歴を知ったのもその時だ。しかし、その後の作品『マイマイ新子と千年の魔法』は未見だった。あの時、感じたように、なぜ芸術に頻繁に触れ、創造的に生きなかったのだろうと、仕事以外の成果を残せなかったここ数年を激しく後悔した。

 「呉~呉~」 街の様子とともに、すずにほんわかとした声がリフレインする。

 「この世界の片隅に、私を見つけてくれてありがとう」

 そんなことを夫に向かって言える日が来るとは思えず、もう無茶はしないと誓っても、結局、ギリギリまで予定を詰め込んだスケジュールを立てては、時間が足りずに達成できず、疲れ切っては自己嫌悪に陥る。『この世界の片隅に』の鑑賞前も後も、やるべきことに追われ、創造的ではない日々が続く。

 後半、涙が自然とあふれ出て、エンドロールは、ほとんど見られなかった。夫と子どもと親子3人と一緒に見る日まで、ネタバレ嫌いの夫に対し、この映画の感動は封印しなければならない。一緒に見た時に、初鑑賞時はどう感じたのか、残しておくために、またもや強行スケジュールで「書く」時間を確保した。

 鑑賞するかどうか迷っているなら、早いうちに見たほうがいいとアドバイスしたい。自分の夫のように、評判の良さを伝えても興味を持たない人は、感性が根本的に違うと諦めるしかない。命と引き換えに、すずが失った右手は、単なる身体の一部ではなく、選択によってはあり得た、無数の可能性そのものだった。

 いま、生きているのだから、今はまだ右手がまともに動くのだから、社会の役に立つ、自分だけの言葉を紡ぎたい。この国に生まれたすべての人は、例え、後悔しても、自分で道を選び、自分の夢を追いかける権利がある。

2016年のいま、観る価値は、まだ破滅が始まっていないから

改めて自分語りとは関係のない、作品としての評価をまとめよう。戦争を描いた特別な作品を生み出せる時期は、まだ経験者が生きている今だけだ。『この世界の片隅に』は、アニメならではのメリハリのある描写、音楽とビジュアルの融合が際立っていた。特に、戦艦や武器は非常にリアルで、あとで読んだ記事によると、再現率は非常に高いそうだ。

 映画としては、もう少し尺が短いほうが見やすかったかもしれない。たとえ、自宅近くの劇場を選んでも、移動時間を含め、少なくとも土日に3、4時間を確保するのは難しい。リンさん関連など、上映後に購入したパンフレットや解説記事を読まなければ背景を理解できない、少々、わかりにくいシーンもあった。とはいえ、物語に破綻はなく、ご都合主義的な面はまったく気にならない。『風立ちぬ』以上にわかりやすく、興行収入が高まるほど、一般的な評価も高まるだろう。

 作中、何度も死や痛みが語られた。最も衝撃的だった晴美の死は、仕事と育児の両立の困難さに悩んでいた自分にとって、子どものいる最上の幸せを再確認させてくれた。本当に涙があふれ、止まらなかった。

 2016年の今、時間を何とか捻りだしても劇場で鑑賞する価値は、まだ次の戦争や大災害が発生していないから。すずが失った「右手」の重みは、前向きに生きる糧になる。

・「この世界の片隅に」公式サイト
konosekai.jp/

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