『シン・ゴジラ』を見て、最低限のこだわりは捨てず、好きに生きようと誓った

2016/8/11 07:00 | つぶやき, アニメ批評 | 個別URL

 映画『シン・ゴジラ』を「109シネマズ川崎」で観た。なぜ川崎か。ネタバレを避けるため、感想は見ないように心がけていたが、ふと「川崎が壊される」というツイートを見かけたからだ。実際には、鎌倉や東京都内のほうが被害は大きかった。最終決戦は、東京駅周辺だった。見慣れた駅舎が崩壊し、活動を停止したゴジラがそのまま鎮座する異様。ラストシーンは、「現実(ニッポン)対虚構(ゴジラ)。」というキャッチコピーそのものだった。

※鑑賞回数1回・パンフレット未購入のため、内容やセリフに記憶違いがある可能性があります。ご容赦ください。また、矢口、牧さん、カヨコ以外の人物名は、執筆にあたり、名前と肩書を調べました。

今の自分はすべて「エヴァ」から始まった

 1995年10月。TV版『新世紀エヴァンゲリオン』は初回から引き込まれ、録画したビデオを何度も繰り返し見た。待たされた1997年の劇場版以降、徐々に熱は覚め、それ以降は、決して熱心なエヴァファンではない。しかし、1995年10月から翌年3月にかけては、日本一熱心なファンの一人だったと自認している。

 セリフを覚えるほど見返し、シンジの口ぐせ「逃げちゃダメだ」は、嫌なことに立ち向かうべき時、何度も自分に言い聞かせた。内向的なシンジの性格は、まるで自分のように見えた。加持さんのような大人がいつか助けてくれると信じていた。過去10年超の社会人としてのキャリアは、多感だった10代に「エヴァ」と出会わなければ、まるで違っていたものになっていたはずだ。

 新劇場版「エヴァ」は、遅れる制作、ドコモやローソンなどの大企業と組んだ大掛かりな宣伝に少々辟易していた。『シン・ゴジラ』より先に「エヴァ」を完結させるべきだと思ったが、前評判の良さに期待し、通常より安い、レディースデーまで待って劇場に足を運んだ。IMAX版の最終上映日である8月10日の朝10時開始の上映回、結果的に、強行突破となった。

集合知と、一人ひとりの決断の積み重ねから生まれる政治、モノ、映像

 あらすじは、簡単にいうと、エヴァの「ヤシマ作戦」の焼き直しだ。大衆受けする内容としては、方向性に間違いはない。実写ドラマ・映画をあまり見ないため、名前の出てこない役者が多数出演していた。一般人を含め、人はまるでゴミのようだった。無言のまま、ゴジラ襲来時の最初の総理(大河内清次内閣総理大臣、大杉漣)は死亡した。「国会議事堂に残る」と決断していたら、生き残ったかもしれない。

 「ヤシオリ作戦」の実行をはじめ、さまざまな決断を下したのは、たらい回しの結果に見えて、自ら責任を追う覚悟を持っているような、よくわからない次の総理(里見祐介農林水産大臣→内閣総理大臣臨時代理。平泉成)だった。印象に残る女性科学者は、市川実和子さんが演じる尾頭ヒロミ(環境省自然環境局野生生物課長補佐→課長代理)。主人公は作戦名「矢口プラン」にもなった矢口蘭堂だろう。次に見る際は、赤坂秀樹(内閣総理大臣補佐官→内閣官房長官代理、竹野内豊)の行動の変化、セリフに注目したい。

 キーマンは、暗号となる紙の用紙を残して消えたマキさん(牧悟郎元城南大学統合生物学教授)。おそらく彼は、ゴジラの襲来を予感し、自ら喰われたのではないだろうか。そして、ゴジラの一部となり、原子爆弾を日本に落とし、原子力発電に利用して不要になった核廃棄物を海洋に不法廃棄した米国をはじめとする人類に復讐するゴジラの一部となった。

 Wikipediaによると、ゴジラは米国の核実験や「第五福竜丸」の被爆事件が社会問題となり、冷戦や原発の推進に歯止めをかける気運から生まれたものだという。『シン・ゴジラ』は、まさに「初代ゴジラ」そのものだった。ただ、作中で語られた通り、日本は、団結力で危機に立ち向かい、スクラップビルドを繰り返して成長していく、とはもはや思わない。フィクションである『シン・ゴジラ』中の日本は、個々に才能や崇高な目標を抱えた人物が多数登場するが、実際には、それほどの強い意志を持たず、ただ日々を過ごしているだけの人が多いだろう。

 米国と日本の橋渡しを務めるバイリンガルの女性、カヨコ・アン・パタースンは、「日本で好きを通すのは難しい」と語り、最終的に、自分のキャリアと引き換えに、核兵器を使わないヤシオリ作戦に賭けた。

 すべての発端、牧さんは、「私は好きにした。君たちも好きにしろ」と書き残した。折り鶴には気づいたが、隣に宮沢賢治作の詩集「春と修羅」が置かれていたことには、エンディングロールと、鑑賞後の他の人の考察を見るまで気づかなかった。「春と修羅」は、創作の中でしばしば引用され、意味深な小道具として登場する。

『シン・ゴジラ』は、庵野秀明の「好きにしてみた」結果

 『シン・ゴジラ』は、特撮好きにはたまらないギミック、小ネタが凝縮されていると思われる。特撮作品はあまり見ていないため、その濃さはわからない。ただ、電車(新幹線・在来線)を無人攻撃機にするアイデアには、男のロマンを感じた。移動する乗り物は、なぜかカッコいい。そして、庵野秀明監督は、エヴァ=アニメに限らず、もっと多くの映像作品を生み出して欲しい。劇場で見た『キューティハニー』は、倖田來未の主題歌以外、あまり記憶に残っていないが、『シン・ゴジラ』は、実写映画でも通用する才能を示した。生涯、「ナディア」と「エヴァ」シリーズだけではもったいない。物語の展開は、ワンパターンでもいい。そのたびに、創作の歴史に新しい記録が残る。鑑賞者は前を向いて生きていける。

 改めて、TV版エヴァの「ヤシマ作戦」の密度の濃さに驚く。1995年当時、スマートフォンはもちろん、今のようなインターフェイスのWindows搭載PCすら存在しなかった。その時点で、すでに科学と人の力の融合こそ、最大の強みだと信じていたのだ。

宮﨑駿への返答、創作人としての原点回帰 「人は自分のために生きる」

 宮﨑駿は、自伝的映画『風立ちぬ』のなかで、自分を投影した主人公に対して「創造的人生の持ち時間は10年だ。君の10年を力を尽くして生きなさい」と説いた。その回答として、弟子を自認する庵野秀明は「好きにしたらいい」と返した

 年齢を重ねると、視野が広がる一方で、制約やしがらみが増えていく。体力、時間もなくなり、挑戦を避け、安全策を選ぼうとする。死の恐怖、仕事のプレッシャーもますます重くなる。それでも、すべてを投げ打つ覚悟をもって、創造的なことが好きなら、好きなことを突き詰めればいい。

 上映開始の1分前にシアターに到着し、鑑賞後、川崎駅前生まれの亡き父が、あまりの変貌ぶりに感慨深く語った大型ショッピングセンター「川崎ラゾーナ」の他の店をほとんど見ず、数年ぶりに柿安の「おはぎ」を購入し、好きだった店に寄って抹茶アイス載せかき氷を買い、駅のホームと電車内で食べて自宅にトンボ返りするという無謀なスケジュールでも、劇場鑑賞を強行してよかった。買い物やゆっくりとした食事と引き換えに、フードーコートの一角で、6月末に買ったばかりの2 in 1PC「Surface Pro 4」で感想をすぐに打ち込める時間も確保出来てよかった。やはり、その時しか体験できない「祭り」には参加するべきだ。

 自分が一番好きなことは何か。それは、美味しいものを食べること、文章を書き、自分の思いを伝えること。できればPVや収益を上げ、トップを目指したい。

 先日、日帰り温泉の漫画コーナーにあったよしながふみ作の『大奥』を読んだ。密度の濃さに、購入して読むべきだったと後悔した。仕事や趣味として、今すぐ自分ができることは実用的な文章を書いて情報を発信することだが、本当は物語を描きたい。「エヴァ」を超えるヒットを生み出したい。生きる力を多くの人に与えたい。その夢のために、たとえ、理不尽なことがあっても、組織の指示に従い、持ち場で励まなければならない。

 たとえ時間がなくとも、折にふれて、魅力的な創作に触れることは、自分にとって必要な行為だと気づいた。同時に、少なくともあと3年は、自分より子ども、節約より「時間」や「効率」を重視したほうがいいと痛感した。それでも、熱意と最低限のこだわりは、捨てないほうがいい。否、絶対に捨ててはならない。今の平和な日常は、いつまで続くのかわからないのだから。改めて、庵野秀明監督に感謝したい。向上心を忘れずに、譲歩しつつ、自由に生きることを誓う。

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