映画『風立ちぬ』感想ー失われた「熱中」を描いたノスタルジック・ファンタジー


 映画『風立ちぬ』は、写実的なようでウソっぽいファンタジー。実在の人物・出来事をもとに、大正末期から昭和初期の激動の時代を描き、「反戦」を訴えているようにも、兵器である飛行機に魅せられた主人公・堀越二郎の狂気を描写しているようにも見える。テーマは、飛行機と反戦と出会いと熱中。ヒロイン・菜穂子の健気さは、多くの男性が好むところだろう。出自の良い、理想の年下妻(幼女)だ。ナウシカやキキは、勝ち気で自分で運命を切り開くタイプだったが、菜穂子は、珍しく男性に頼り、理想の自分だけを見せて姿を消した。表面的には頼っても、歴代のヒロイン同様、根本的には「自分で決める」性分だった。

 「起承転結」の速さと大胆なアクションを極上とする「映画」としては一級品。ただ、ウリの飛行シーンや軍用機の描写は、『ストライクウィッチーズ』の映画版のほうが上だった。スタジオジブリの手にかかると、すべてヨーロッパ風のノスタルジックな色に染まってしまう。物語自体は、運命的に出会った薄幸の美少女との唐突な悲恋をアクセントにした、ごく普通のストーリー。流れるように時が過ぎていき、「夢」と「現実」の境界線を意図的にわかりにくくしているため、掴みどころのないフワフワとした印象が残る。それでも、音や脇役のセリフが光る。二郎のぼそぼそとした抑揚のないしゃべりも、前評判ほど悪くない。あまりにもリアルで、生々しすぎると思うシーンもあった。

宮崎駿監督は「二郎」に何を託したのか?

 キャッチコピーは、漫画版『風の谷のナウシカ』のセリフと同じ「生きねば」。しかし、上映後、死にたくなった。劇中で航空設計師・カプローニが言った「もっとも創作に打ち込める10年間」を無駄にしたこと、二郎のようにチームで仕事をしていないこと、菜穂子のように、最も美しい姿を見せられないまま、自ら健康を害したこと。「懸命に生きようとしない人間は価値なし」と言われた気がした。今年は、実在の人物・堀越二郎氏の没後○年などの節目の年ではない。2013年夏に上映しなければならばい必然性はなく、いつでもよかった。しかし、2011年3月11日の東日本大震災と原発事故を受けてなお、現実から目を背け、変わらぬ日常が続くと信じて不満ばかり言っている日本人に対し、いま、問いかけなければならなかった。夢を追いかけない、自堕落な生き方を非難する。

 おまえは、仕事や趣味に熱中しているか? 熱中は時に「呪い」になる。それでも、一心不乱に打ち込む「熱中」はすばらしい。

 情熱があっても、たいていの場合、一人では実現できない。理解してくれる人や協力者がいて初めてカタチになる。特にアニメの場合、多数のスタッフとの協力・連携が不可欠だ。「ジブリ」の評価は、宮崎駿監督個人の力によるものではない。関わってきた大勢のスタッフに対し、負い目と責任を感じつつ、ビジネスのため、自分のために生み出した作品、それが日本の昭和初期を舞台としたノスタルジック・ファンタジー『風立ちぬ』。破滅に向かっていると気づきながら、日々を楽しみ、多くの人が夢を追っていた頃。今より貧富の差は大きかったが、才能や実績があれば正当に評価された時代。恒久の愛や家庭的な生活より、才能と努力、仲間(同僚・上司)に支えられた「仕事」に打ち込む二郎を、うらやましいと感じた。

 亡き父は、宮崎駿監督より5歳上の昭和11年(1936年)生まれ。4歳の時に病気で実母が亡くなり、年の離れた姉が母代わりとなって育てたそうだ。兄・姉は、大正末期から昭和初期に生まれた。そのうち一人は、20歳過ぎに結核で亡くなったらしい。まだ存命している父の姉(伯母)に、『風立ちぬ』は、当時をどれだけ忠実に再現しているのか、聞いてみたいと思った。もっとも伯母たちは、この映画を見ないだろう。戦争は決して思い出したくない過去だそうだ(そもそも、ほとんど行き来していないので、聞くことはできない)。戦前生まれの父に、もっと戦争や昭和の高度経済成長期について、聞いておけばよかったと後悔した。

 宮崎駿監督は、辛うじて戦前に生まれたクリエイターの一人として、多くの同世代人が見ないフリを続ける「戦争」に対し、一度正面から向き合う必要があると感じたのではないか。若き日の「二郎」に、過去の自分を重ねたことは間違いない。

※父は40歳過ぎに結婚した。父自身が末っ子だったため、祖父は生まれる前に亡くなっていた。自分の実体験として、40歳過ぎに子どもを授かると、子どもにとってマイナス要素が大きい。

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