格差の前段階として、「分断」が進んでいる


 理不尽な母親に悩み、ずっと”生まれ”と”運”に左右される「格差」が問題だと思ってきた。しかし、最近、”生まれ”と、触れてきた教育・文化・教養・人間関係の差による日本人同士の「分断」のほうが致命的な問題だと思うようになってきた。同じ市内ですら、学区が違うとまるで違う街。同じ学区でも、電車通勤・車通勤のフルタイム正社員と自転車通勤の非正規雇用者では、生活のリズムや街に対する評価がまるで違う。

 一口に非正規といっても、正社員になれずに妥協して勤務している若年層、夢を叶えるための自己研鑚や学業の合間に働くアルバイト層、家計の足しや小遣い増額のために働くパート主婦層では、求める水準が異なる。残念ながら、子どもを産むなら正社員に限る。少子化の要因の一つは、きちんと産休・育休を取得できる企業に勤務する正社員か実績のあるフリーランスしか安心して産めない現状の社会保障制度にあるだろう。一刻も早く改善して欲しい。

 本題に戻ろう。今の日本は、主に収入と文化資本の差と、運に左右される「格差社会」になりつつあり、その根底に「分断」がある。スマートフォンの普及は、ソーシャルメディアの普及とリンクしていると当初から感じていた。ソーシャルメディア側の信頼性の高い調査データがなかったため、仕事で書いた記事ではあまり触れてこなかったが、Twitterでは、繰り返しツイートしてきた。

 従来型の携帯電話、通称「ガラケー」は、この3年の間に、急ピッチでスマートフォンに置き換わりつつある。2010年4月に発売されたAndroid搭載スマートフォン「Xperia」が売れ、spモード対応後、さらに売上を伸ばした。iモードのアドレスがそのまま使えれば、スマートフォンでも受け入れられるとわかり、ドコモとKDDI(au)は、スマートフォンメインのラインアップに舵を切った。auは、その後、新規ユーザーの獲得のため、iPhone主体に切り替えたため、牽引役はドコモになった。今や、Android搭載スマートフォンのほとんどは、防水やワンセグ、おサイフケータイに対応し、ほとんどガラケーの発展形といってもいい。

 自分の感覚では、Amebaやモバゲー、LINEは、ソーシャルメディアではなく、コミュニケーションサイト・メッセンジャーツールになるが、当事者はソーシャルメディアだと主張している。学生の仲間同士(身内)の閉じた枠組みのなかで使いやすく、楽しげなLINEの登場と、キャリアが仕掛けた各種キャンペーンによって、スマートフォンへの移行が加速した。身近に中学生・高校生のいない部外者の目には、たとえ、ハードは変わっても、身内だけで盛り上がる「ガラケー文化」自体は何も変わっていないようにみえる。

 iPhoneも、auが取り扱うようになった2011年10月発売の「4S」あたりから、ユーザー層が変わった。当初のガジェット好きから一般人に拡大し、「App Store」のiPhone向けアプリのランキングは、ゲームばかりになってしまった。中高生が増えた証といえるだろう。アップルは、日本でのユーザー数のさらなる拡大のため、ドコモにも取り扱ってほしいと考えているに違いない。ただ、崩れつつあるとはいえ、これまで培ってきたiPhoneのブランドイメージと、写メールとドコモのiモードが培った「ガラケー文化」は相反する面がある。iOSを搭載したiPhoneは、親しい友人・家族のいない非リア充でも、それなりに満足できる。ガラケーの発展形であるAndroid搭載スマートフォンは、非リア充にとっては、無意味な機能がてんこ盛りだ。Windows PhoneもWindows 8も、友人・知人とのコミュニケーションに重点を置き、日本に多い「孤独なインターネット好き」を切り捨てるかたちで進化してしまった。非リア充は、余分な機能がなく、割安なAndroidタブレットに共感する。iPadに対しては、手持ちのiPhoneとの連携、iCloudを利用して複数のデバイスのデータを共有できる点に価値を見出す。

 非リア充だったため、学校はそれほど面白い場所ではなかった。大学入学後、パソコンでインターネットを利用するようになり、ネットを通じ、匿名掲示板を含め、身内以外の外部の人とコミュニケーションしたい、情報を発信したいと考えてきた自分にとって、ネットをリアルの延長としてしか使わない人、単なる手段と割りきってコミュニケーション用途には使わない人は、理解し難い。しかし、いわゆる普通の人がガラケーからスマートフォンに切り替え、パソコンと同じ土台のインターネットを利用するようになり、自分が少数派だと気づいた。自分が住む街、自分の信念、自分の考え方のほうが優れていると主張しても、広大なインターネットの海のなかではほとんど泡のようなものだろう。

 インターネットは「地方」と「都市」の差異を可視化する。しかし、それが問題だと意識した人にしか伝わらない。人は、「自分の目の前のものを疑いなく許容するもの」とわかった。日本は、階層によって考え方や消費活動が異なる格差社会の前段階として、縦と横に分断された社会になりつつあり、「がんばった人が報われる社会」という曖昧で残酷なスローガンのもと、意図的に日本人を分断することで、改革を阻害しているようにみえる。縦横の複数のレイヤーの頂点近くにいる人や、メディアの情報に流されやすい層を対象に商品・サービスを販売している企業にとって、そのほうが都合がいいからだ。

 既存の枠組みをそのままに広域化するのではなく、今の基礎自治体(市町村)をいったん解体し、抜本的に再編するという条件付きで、「道州制」の導入に賛成だ。日本をいくつかのエリアにわけ、コンシューマー向け製品・サービスを手がける大企業は、そのエリアごとにマーケティング部門を設置し、そのエリアの実情にあった販促活動を実施したほうがいい。マスメディアや店頭、交通広告などを通じた広告大量投下やインセンティブ(販売奨励金)に頼った的外れな販促活動では、もはや売上を伸ばすことはできない。

 例えば、「住宅ローン」という言葉を見聞きした際、都心・首都圏郊外在住の一般層は、マンション・建売住宅の購入をイメージするだろう。親と同居したり、土地付き住宅を相続したりするケースを除き、基本的に家は買うものだ。そもそも賃貸住宅に住む人が多く、機会がなければ、買うという発想すら浮かばないはず。対して、首都圏郊外・地方在住者は、家は建てるものだと認識し、注文住宅を建築する。結婚と同時に家を新築するケースも多いそうだ。日本の家電メーカーは、こうした住まいに対する発想の違いをどれだけ考慮しているのだろうか。ある程度把握した上で、すべての層をカバーしようと試み、結果的に中途半端に都市在住者向けにカスタマイズされた製品が多いように思える。

 長期休暇のたびに、必ず遠方の実家に帰省する人は、帰って実家近くで暮らしたほうがいい。非難を覚悟でいうと、待機児童、地価高騰、通勤ラッシュ時の満員電車、道路の渋滞など、首都圏のさまざまな問題の緩和と多様な地域性の確保のため、地方出身者は地元に帰っていただきたい。地方分権を掲げて道州制を導入しても、道州間の移住を制限し、東京一極集中の流れを止めない限り、根本的な解決にはならないだろう。地方の中核都市が、すべて「東京」化すれば、日本全体の経済力は向上するはずだ。