子どもは親の所有物ではない


 5月25日に何気なく書いたツイートが執筆者本人にリツイートされ、それがきっかけとなり、過去最多となる31件のリツイートと、7件の「お気に入り」をいただいた(2012年6月16日時点)。

 「子は親を養うための道具ではない。子は親の所有物ではない」とは、リンクを紹介した松永英明さん(@kotono8)が執筆した記事「河本準一氏叩きで見失われる本当の問題」の本文中の言葉をそのまま引用したもの。そして、記事を読んだ感想として、<この言葉を母に聞かせたい>と加えた。多数のリツイートは、「晒し」ではなく、「賛同」を意味していると思いたい。私と同じように、母親に対し、複雑な思いを抱いている人は少なくないようだ。家庭環境は人それぞれ。しかも、インターネットや友人を通じて多くの情報を得ている子ども側ではなく、交友関係が狭く、古い昭和の固定観念にとらわれた親側に問題があるパターンのほうが多いはず。現状の生活保護・年金・社会保険などの各種社会保障の制度と、高所得者優遇の税制を続ける限り、親族間の扶養義務強化には強く反対したい。

個人的な話―理不尽な母親に振り回され続けた半生

 「子どもは親の所有物ではない」とは、私の以前からの持論だ。当該記事を見て思いついたわけではなく、大学時代あたりから、当時、運営していたテキストサイトの日記に、理不尽な母親への不満を何度も書いていた。物心ついた頃から、母親に毎日の行動や交友関係を根掘り葉掘り聞かれ、勉強や、アニメ・マンガ・小説などに没頭している間だけ、嫌な現実を忘れることができた。特に、母親の精神状態が不安定だった小学校高学年頃と、父が定年退職した高校3年の秋から私が就職するまでの間はひどかった。言葉だけではなく、時には暴力を振るわれたり、大切にしているものを外に投げ出されたりすることもあった。デスクトップPCよりノートPC、iPadを好む理由は、すぐにスリープ状態にして抱えて逃げることができるからだ。最初に買ったデスクトップPCは何度も壊されそうになり、実際に勝手に動かされ、それがHDD故障の要因の一つになったと思っている。

 自由時間が増えた大学時代は、バイトとインターネットにのめり込んだ。社会人として働き始めた後も、時期によっては、「家に帰りたくない」という個人的な理由から、朝早く出勤し、終電間際まで仕事を続けた。家にいるよりも、通勤・通学の電車内のほうがリラックスでき、安心して熟睡できた。それくらい、母親の過干渉に苦しみ、金銭的理由から独立できず、無理な命令を拒否することもできない自分の心の弱さを呪った。

 結局、結婚して実家を出るまで、「子どもを自分の所有物」として扱う母親に、完全に逆らうことはできなかった。血液のがんといわれる「悪性リンパ腫」を発症し、それを治療するための抗がん剤の副作用で体力が衰えた父の健康状態が心配だったため、結婚後も、休日はほぼ毎週実家に行き、結婚前とあまり変わらない状況が続いた。母は、通院治療に切り替えさせられた父を一人でケアできず、私はその母の命令に抗えず、日に日に弱っていく父のためではなく、母のために行動せざるを得なかった。病気の影響か、自分の意志か、ほとんど食事を摂らなくなった父は、「iPad」が発表される数日前、私たちの結婚式から7か月と11日後に亡くなった。

 葬儀や埋葬、相続などを通じ、母親との見解の相違は決定的になった。母は、父が亡くなった原因は、私が結婚したためだと責めた。そのたびに心が痛んだ。結婚せずに、最後まで同じ家で一緒に過ごせばよかったかもしれないと悔やんだ。チャペルのある教会で父とともにバージンロードを歩きたい―その夢をかなえるため、ほぼ全額自己負担で結婚式を挙げた。2009年6月、場所は箱根の富士屋ホテル。後から振り返ると、父が参列可能なギリギリのリミットだった。母親は、医療費の負担が大きいといって、祝い金をくれなかった。父はその時点ですでに体力が弱っていて、式に参加するだけで精いっぱいだったので、まさか空の祝儀袋を渡したとは知らないだろう。正直、その時点で、もう長くないという予感があった。

 父が元気だった頃、何度も2人で結婚したいと伝えようとした。そのたびに母は話を故意にそらし、正社員として働く「金づる」兼「運転手」である私を手放そうとしなかった。私自身、仕事が忙しく、同世代の同僚が誰も結婚していなかったことと、続きが気になる中途半端な状態でいったん終了した「コードギアス 反逆のルルーシュ」に夢中になる余り、2008年夏に父の健康が悪化するまで先延ばしにしていた。二次元キャラを愛しすぎると、婚期を逃すのは間違いない。

 以前は少額の厚生年金、今は遺族年金を受給している母は、父が遺した資産は、夫婦2人分の老後資金として貯めたものであり、「子どもには一円たりとも残さない」と言っている。想定より早く父が亡くなったため、一人分あれば十分にも関わらず。しかも、父の生前に、貯蓄性の高い預金はすべて自分名義に変更してしまい、亡くなった時点の父名義の資産は、実質的に不動産(自宅)と自動車しかなかった。自動車は、もともとその車を運転し、維持費(2年目以降の自動車税と任意自動車保険代、車検代、ガソリン代)をずっと支払っていた私名義に変えたいと主張したが、最終的に譲歩した。生前、父は口頭で私名義に変更していいと話しており、その時、すぐに手続きしておけば、相続時にもめることはなかったと後悔している。

 法定相続分は、配偶者・子ともに2分の1。だが、すべて母が相続し、残金500円程度の記名式Suicaカード以外、何も相続していない。そのうえ、葬儀代や墓代(共同墓)、1年遅れで支払う父の住民税、自分名義に変更した自動車の車検代・駐車場代、固定資産税などの支払いを要求してきた(うっかり立て替えてしまった共同墓の費用と自動車保険代以外、すべて拒否したが)。子どもは「親を養うための存在」であり、自分だけ不安なく豊かな老後を過ごすことができれば、子ども自身の生活はどうでもいいらしい。

 父の死後、母と私の間に問題が発生した時、相方が間に立って私を守ってくれた。結婚してよかったと思った。父の3回忌が過ぎたあたりから、ようやく母は落ち着いてきたようで、以前に比べると、かなり干渉や理不尽な要求は減ってきた。しかし、幼稚園に通い出した頃からずっと母に振り回され、やっと自分の意志で行動できるようになったと思ったら、人生40年と想定すると残りわずか数年、人生60年と見積もっても、すでに半分が過ぎていた。私の人生は何だったのだろう。

 相方は、人格的に問題のある母親とは距離を置き、別生計の別の世帯として考えるべきだという。私は金銭面のリスク低減のため、3世代が一緒に住むような大家族制に回帰したほうがいいと思っている。昭和後半から広まった平成の価値観にとらわれた個人主義の前者は負け組となり、貧困に陥る可能性が高い。時代の変化に合わせ、生き方はフレキシブルに変えるべきだ。現実的に、母(祖母)の手を借りなければ、子育てしながらの共稼ぎは難しいだろう。現状の制度のままだと、認可保育園に子どもを預けることすらできないかもしれない。

 5月に入り、突如、「生活保護の扶養義務強化」の方針が打ち出された。一人暮らし世帯が増加し、核家族・個人主義の時代の流れに逆行する話だ。後から知ったが、河本氏の件が明るみになる前から、生活保護費削減策の一つとして議題に上がっており、強化する方向で固まっていたようだ。「子どものものは自分のもの、自分のものは自分のもの」と考える団塊世代や、昭和的価値観(女性は専業主婦・パート労働で十分)に固執する保守主義者は、この強化策を支持するだろう。負担のしわ寄せは、子育て世代にあたる30代、40代に向い、親子仲が良好な家庭や高年収の裕福な層以外、子どもを産み育てる自信が持てず、ますます少子化が進むに違いない。賃貸・持ち家ともに、住居に関わる費用が高い東京近郊に住む場合、個人年収300万程度では、結婚にかかる費用、子ども一人の教育費の捻出すら厳しい。

 生活保護費の削減のため、親族間の扶養義務を強化するなら、少子化対策を兼ね、親族間の生前贈与に限り、一定金額まで課税対象外とし、生活保護・年金の受給と引き換えに、後見人(子ども)に資産をすべて贈与しなければならない制度にして欲しい。高齢者が老後資金として貯め込んだ資産が若年層に渡り、「死に金」が「生き金」に変われば、今より経済が活性化するはず。高齢者を対象とした振り込み詐欺や悪質商法も防ぐことができる。これでは、問題の本質である「貧困の連鎖」はなくならないが、少なくとも、親は余裕の年金暮らし、子どもは低所得・貯金なしで結婚・出産や2人目の子どもを諦めるという、いびつな状況は解消できるのはないか。

 日頃、私や相方に対して、母は「将来は年金制度がどうなるかわからないから、無駄遣いしないで貯金しなさい」という。本音は、「自分の老後資金が足りなくなった時に困るから」だろう。最後にもう一度、冒頭で紹介した記事の言葉を引用する。私の気持ちを、余すことなく代弁してくれているからだ。「子は親を養うための道具ではない。子は親の所有物ではない」。人並みの親心などなく、すべて打算でしか物事を考えられない人間は、血のつながりがあっても、尊敬することはできない。

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