2011年12月の記事一覧

2011年を振り返ってー「なりたい自分」が見えてきた

2011年12月31日22:58 | つぶやき | No Comments | 個別URL

 11月に入ってから、せっかくうまく回っていた歯車がずれ始めた。その結果、仕事の能率は下がり、執筆本数が減り、ブログの更新は、ほぼストップしてしまった。自己満足の個人ブログより、仕事の記事を優先するべき、と判断したからだ。しかし、休日返上で原稿を真剣に書いたのはわずか2日間だけで、あとはWii版の「ドラクエI・II・III」のFC版ドラクエIIIをプレイしていた。それ以上に多く費やした時間はTwitterだろう。不具合やアプリのAPI制限でTLを遡って見ることが難しいゆえに、空き時間は、つい、リアルタイムでしか読めないTwitterを優先してしまう。その結果、アプトプット量が大幅に減る―という悪循環にはまってしまった。

 その間、視聴したドラマ、アニメ、マンガなどの作品の感想を、本当はすぐにブログに書きたかった。特に、ネット上の口コミで余り評判が高くない作品ほど、すぐに賞賛の感想を書き、制作サイドや編集部に伝えなければ、打ち切りやメディア展開の規模縮小などの目に遭いかねない。それらの作品を楽しみにしている身にとっては非常に困る。しかし、先に公式サイトやWikipedia、Twitterのツイートなどを読んでしまって時間がなくなり、鑑賞直後の「自分だけの感想」は、文字化しないうちにほとんど忘れてしまった。ほんの一部は、忘れないうちにTwitterでつぶやいたが、文字制限のため、感じた思いの10%も表現できていない。良い作品やイベントに出会ったら、「ブログに感想を必ず書く」という習慣を身につけなければ、作品継続のために、本当にまずいと感じている。

 公私ともに、2012年は、今まで以上にアウトプット量を多くしたい。同時に、もっと自分の主張を強く打ち出したい。携帯電話ランキングなど、仕事の記事では、「量販店の集計データを文章や表を用いてなるべくわかりやすく客観的に伝える」ことを第一に、極力、自分の意見や主張は入れないように心がけている。データをなるべく多く公開し、どのようにとらえるかの判断は、読み手に委ねたいと思っているからだ。読者からの批判のコメントを防ぐ目的もある。

 けれど、本音では、根拠なく、自分の直感だけで「言い切りたい」ときもある。そして、自分が憧れている何名かのITジャーナリストと同じように、個人の名前で評価してもらえるようになりたいと思う。そのために足りない部分をどうやって伸ばせばいいのか、何を学べばいいのか、そもそも今の方向性でいいのか。その答えが見つからないまま、日々のルーティン業務と、編集長から直々に依頼された「iPhone 4S比較」の連載(第1回第2回)の心理的負荷、極度の体調不良が重なり、ブログが書けなくなってしまった。

 私は、現在、編集部ではなく、Webを含む制作担当部門に所属している。表向きはWebサイトの運営スタッフであり、基本的に量販店・メーカーに対する取材活動は行っていない。例外は、編集部に所属していた時につながりがあったアップルだけだ。けれども、前上司、現上司のありがたい判断により、日々、記事を書き、Webサイトのコンテンツ面の進捗を管理している。立ち位置は、「PVアップのための常駐ヘルパー」。自分の裁量で比較的自由に書くことができ、非常にやりがいがある。だから、つい、身体的に無理を通してしまう。

 ただ、取材に裏打ちされた説得力のある他の方の記事を読むうちに、左から右へ流す「文化的雪かき」に従事する一介のライターではなく、今や相互に密接に関わったサブカルチャーとデジタル、そしてインターネットの普及とともに急速に変化した新しいかたちの「メディア社会」の今(Now)と未来(Future)を、自分だけの視点で語るジャーナリストを目指したいと強く思うようになってきた。2010年5月からTwitterを使い始め、そこでの知的な会話やネットワークに刺激を受けて、ようやく「なりたい未来の自分」が見えてきた気がする。たとえ、名は残らなくとも、社会の役に立つ人間でありたい。今までも「無署名」または「署名入り」で多数の記事を書き、少なからず、世の中の動きに影響を与えることができたと自負している。その幅をもっと広げ、視点と視野を広く持ち、「この人の書くことなら信頼できる」と評価されるようになれたら本望だ。

 デジタル関連とは別に、日本の発展を阻害している年金や医療制度、地方自治などに代表される「旧来のシステム」の変革する活動に協力したいと思っている。今の日本社会の行き詰まりは、とどのつまり、大量生産・大量消費社会の行き詰まりに他ならない。メーカーも店舗も多すぎて、情報不足の消費者は選びきれず、逆に賢い消費者は欲しいものがなく、ミスマッチで無駄が世の中にあふれている。

 人は、強制的な労働・消費・勉強から自由になるべき。興味・好奇心の赴くまま、自由に過ごせたらどんなに幸せだろう。実際には、住居費をはじめ、生活するためのコストが高すぎるため、定年まで、身体を酷使しても働き続けなければならない。特に都心と都心近郊の住居費と、インターネットの通信費・携帯電話代は高すぎる。今の日本人は、高校卒業後の18歳もしくは大学卒業後の22歳から70歳くらいまで「休みなく働くため」に生まれてきたみたいだ。

 ブログが書けなかった個人的なもう一つの要因、体調不良。詳しくは今は書かない。ようやく訪れた病院で、これまでの経緯と症状を話したところ、医者からは真っ先に「ストレスが原因では?」と言われ、処方された薬を服用したところ、ほとんど解消したが、精密検査の診断結果が出るまではわからない(新年早々に精密検査を受ける予定、もう一つは保留中)。

 かつて、いつ死んでもいいと思っていた。2005年の冬、「液晶テレビの売れ筋は32V型」と日本で最初で伝えたのは私だ。結局、今でもサイズ別販売台数No.1は32V型で、日本の住宅事情が飛躍的に改善しない限り、大型化は進みそうもない。このほか、世の中のトレンドを動かすような記事を何本か書くことができた。学生時代には一度も得られなかった充足感を、今の会社に入社して初めて得ることができた。

 Yahoo! JapanとYahoo!ニュースが存在し続ける以上、私が書いた記事が「Yahoo!トピックストップ(ヤフトピトップ)」に載り、多くの人の目に触れた事実は永遠に残る。2011年だけでも、5本の署名入り記事が掲載された。特に5本目は、私でなければ書けない内容のもの。身体面はともかく、仕事の面で、2011年ほど充実した年はありませんでした。読んでいただいた多くの方々、どうもありがとうございました。

Fumi Sagano: @sf_mi

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リアルタイム重視のTwitterの面白さと物足りなさ

2011年12月30日23:26 | つぶやき | No Comments | 個別URL

 3月11日に1000年度に一度といわれた大地震が発生した。その後の調査・研究によると、発生間隔は600年と、もっと短い可能性もあるらしい。2011年11月11日は、余りにも日付に「1」が並ぶことから、大地震の発生が危惧されたが、何事もなく終わった。11月29日火曜日は、Twitter上は「スライム肉まん(スライムまん)」の話題で埋め尽くされ、日常がようやく戻ってきた感じがした。ただ、今の日々が「つかの間の平和」に思えなくもない。

Twitterは「情報発信するネットユーザー」の世相を映す鏡

 12月9日の「天空の城ラピュタ」テレビ放送時は、Twitterの秒間ツイート数の最高値を更新。その数は、1秒間に2万5088件にも達した。未曾有の大地震・大災害など、まるでなかったかのように、映画のテレビ放送を見ながら(実際には見ていない人も多かったと思われるが)、アニメ好き、ジブリ好きしかわからない言葉「バルス」を同じタイミングでツイートし、世界記録を更新してしまった。つくづく日本は平和な国だと呆れるしかない。

 その一方で、ネット上には、2011年12月のクリスマス前後に大地震が発生する、という噂が流れていた。遅くとも2012年1月12日(20日)までに起きるだろうと、確からしい学説とデータを挙げて力説する書き込みを見かけたこともある。少なくとも現時点までは、国内では大被害をもたらすような地震は発生していない。例年と変わらず、「今年を振り返る企画」がテレビ・新聞・雑誌・Webメディアなどのマスメディアにあふれている。個人レベルのブログでも「今年を振り返る」「来年を予想する」ネタは定番中の定番だ。

 日記から発展したSNS、個人ひとりで作る音楽・小説・批評文から集団作業の映像作品・イベントなどまで、すべてのプロダクト・製品、言葉は、その人がこの世に生まれて、生きてきた証。ごく普通の一般人でも、意欲さえあれば自由に発信/返答/編集できるネット上の数々のサービスは、運営企業やクライアントの介入なしに、ユーザー同士で自由に発言しあえる状況が望ましい。しかし、実際には一般人を装った企業担当者が口コミサイトやソーシャルメディアに多数紛れ込み、残念ながら、よく内容を吟味しないと、本当にユーザーによる評価なのか、なかなか見極めにくくなっている。

ソーシャルメディアは格差を助長する

 インターネットは、印刷や蒸気機関の発明に並ぶ、画期的な発明であり、社会を根本的に変革させる可能性を秘めていると思う。けれども、中身の薄い人間のつぶやき(ツイート)やブログの記事は、残念ながら面白くなく、心が動かされない。何のひねりもないボットや一方的な宣伝アカウントは、かつて個人ブログを見つける面白さ半減させたように、Twitterをつまらなくしている。Twitterは、自分にとって有益な情報の収集とコミュニケーションのための「場」であってほしい。

 Facebookに代表される、オン/オフが融合したソーシャルメディアの活用を前提とした、コミュニケーション力による新しい評価基準は、「就職活動の失敗を苦に自殺する大学生」に代表されるように、新しい「格差」を生み出しつつあるように思える。それは別の機会に改善策を考えていきたいと思う。格差の要因は、単純に、世代間の差とデジタルデバイドだけにあるわけではない。

 個人ブログに、わざわざ手作業で「ツイートまとめ」を転載している理由は、将来、万が一、TwitterやTwilogがサービスを閉鎖した場合に、バックアップを取る作業に非常に手間がかかるだろうと思われるため。仕事の記事やブログほど、理路整然ときちんとまとめていないけれど、TwitterのツイートやGoogle+のコメントは、偽りのない本音であり、その場、その時のリアルタイムの言葉。記録しておかなければ、やがて本人すら忘れてしまう貴重な言葉だ。

好きだからこそ感じる機能面の不足感

 Twitterの素晴らしい点は、ストック命のインターネットに「リアルタイム重視」の視点を取り入れたところにあるだろう。確かに、度重なるインターフェイスの変更やアプリの仕様、一部のヘビーTwitterユーザーのFacebook・Goggle+への移行など、若干の不満はある。ただ、他のSNSとは異なるオープンな雰囲気と、時節交わされる鋭い社会批評や知的な言葉、プライベートや日々の息遣いを感じるコメントに、面白みを感じる。それゆえに、せめて丸1、2日程度は自分のタイムラインを後から遡って読むことができれば、「Twitterをチェックする時間がない」というストレスを感じることなく、効率的に情報を収集できるはずだと、残念に思う。さらに、一定期間のタイムラインを遡ることができれば、やたらツイート数が多い人やあえて異なる視点(クラスタ)の人をフォローしても不都合はなく、今以上に面白くなるはず。正直なところ、現状のやや固定化した「お約束の流れ」に、物足りなさも感じている。

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