スティーブ・ジョブズ氏が遺してくれたもの

2011/10/9 08:29 | つぶやき | No Comments | 個別URL

 現地時間2011年10月5日(日本時間10月6日)、アップル創業者で現会長だったスティーブ・ジョブズ氏(Steven Paul Jobs)が亡くなった。1997年に暫定CEO(正確には1996年末に復帰)、2000年に正式CEOに復帰してから2011年8月24日まで、約11年にわたって、CEO職を務めた。アップルのスティーブ・ジョブズCEOは、日本のアップルファン、デジタル製品好き、IT業界人にとって、非常に大きな存在だった。2001年のMac OS X、初代iPodから始まり、アップルの名を全世界的に知らしめたiPod mini、iPod nano、そしてiPhone、iPad。独創的なプレゼンとともに、次々と斬新な製品を発表し、特にiPhoneは、誰でも簡単に使えるスマートフォンとして一大ブームを築いた。それは現在進行形で進んでいる。
アップルのトップページ(2011.10.6)
 このうち私は、Max OS X 10.1をプリインストールしたiBook(2001年末に購入、白いiBook Late 2001)、iPod mini、第2世代iPod nano、初代iPad、iPad 2を持っている。iBook、iPod mini以外は今も現役だ。以前に勤めていた会社では、業務にPower MacやiMacを使用していた。相方は初代iPod shuffle、第3世代iPod nano、昨年発売の第4世代iPod touchを持っている。製品に封入されているアップルマークのシールはあわせて何枚あるだろう?

 英語が苦手なため、スティーブ・ジョブズCEOのプレゼンは仕事中、数回しか見たことがないが(日本語同時通訳付き)、製品紹介やデータを使った記事は何本も書いた。私のライターとしての実績(PV)は、アップル人気に乗っかった面が大きいことは否めない。記事はすべて日本語だが、日本市場を把握するため、もしかしたら機械翻訳したものを読んでくれたかもしれない。今思えば、自ら英訳して米アップル宛てに送ればよかった。スティーブ・ジョブズ氏の生存中に、このアイデアが思い浮かばなかったことが悔しい。

「今」を悔いなく生きるとは

 仕事で発表をもとに簡単に記事(米アップルの元CEO、スティーブ・ジョブズ氏が死去)を書いた。そこでは触れていないが、死因は膵臓がんだそうだ。より正確には、進行が遅い神経内分泌腫瘍らしい。

 またしても、ガンで有名な人がなくなった。スティーブ・ジョブズ氏は、2004年にがんと診断され、摘出手術を受け、その後6年間、生き続けた。彼の人生のうち、世界的に有名な製品はすべて2004年以降。もし、治療が間に合わず、すぐに亡くなっていたら、iPod nano、iPhone、iPad、Macbook Airは生まれなかった可能性は高い。神様が猶予を与えてくれたことに感謝しつつ、やはり早すぎると思わざるを得ない。人生は長くとも50年、運が悪いと30年、40年だと思い、今を悔いなく生きるほうがいい

 本当に最近、ガンやガン治療の負荷が原因で亡くなる身近な人、クリエイター・著名人は多い。若いうちに発症した場合、治療しても完治する人はごくまれだが、余命が延びた分、「大きな結果」を出す。スティーブ・ジョブズ氏の場合、iPhone、iPad、そして今までのデジタルデバイスの概念を変えるクラウドサービス「iCloud」を遺してくれた。人は死を意識しないと、変わらない日常が永遠に続くと錯覚し、時間を無駄に過ごしてしまう。自分への戒めとしたい。

※ここから下の文章は、以前にmixi日記に書いたものを一部修正・加筆したものです。

アップル、ブノワトンは「そして伝説へ…」

 2009年8月1日、石臼挽きの国産小麦をメインに使用していることで有名な伊勢原のパン屋「ブノワトン」の店主で、「湘南小麦プロジェクト」の推進や、ビジネスコンサルタントとしても活躍する高橋幸夫氏が亡くなった。店主の逝去のため、ブノワトンは、2010年3月30日で営業を終了、2号店「足柄麦神・麦師」のみ残る。奥様が引き継いで営業するそうだ。高橋店主は生存中、「ブノワトンは伝説になる」と奥様に話していたらしい。惣菜パンもハードなパンも名物・クロワッサンもタルトもどれも美味しく、それでいて価格は普通の個人パン屋並み。おいしさはもちろん、コストパフォーマンスの高さが好きだった。

 日本のパン好きと一部の農業関係者しか名前を知らないかもしれないが、高橋店主は、「地産地消」を推奨した人として、もっと有名になるべき優れた人物だった。

・「ブーランジェリー ブノワトン」オーナー 高橋 幸夫さん
「湘南小麦」で“日本のパン”を! 湘南小麦プロジェクト

 湘南小麦プロジェクトは、最初にがんと診断され、胃を全摘出した後に始めたものらしい。その他の活動も、ほとんどが手術後の成果だ。長く生きていれば、もっとメディアにも露出し、その名声は高くなっていただろう。実に惜しい。飲食関係者は胃がんで亡くなる人が多いと聞いた。どうしても通常より食事量が多くなるからだろうか? もし本当に因果関係があるのなら調査し、「より健康的な食事の摂り方」を提示して欲しい。

 2009年11月17日、出身大学の教授で、フランス語を教わった大里俊晴氏が亡くなった。享年51。後期試験の面接官の一人だったと記憶している。しかも、どうやら彼のおかげで、私は受かったようだ。恩師ではないが、私の人生を決めた人である。

 「のだめカンタービレ」にも出てきた楽器「テルミン」を知ったのは、大学の時の彼の授業。全体的に雑学ばかりで、役に立つことは教えてくれなかった。フランス語を途中で投げ出したのは、彼の余りにも下手な教え方が原因だと思っている。それでも、流暢なフランス語と独特の口調は耳に残っている。卒論の発表を聞いて、彼は私のことを鼻で笑っていた。Webサイトで署名入りの記事を見かけた時も、やはり馬鹿にしていただろう。

 直接の死因ではないが、原因は大腸がんだそうだ。余りにも早すぎる死。2010年1月9日の追悼イベントにも当初行くつもりだったが、新しく購入した冷蔵庫の搬入・設置と重なり、すっかり忘れてしまった。父を病院に連れて行くか、追悼イベントに行くか、どちらかにするべきだった。そもそも冷蔵庫をすぐに買い替える必要はなかったのだから。後悔ばかり。

 2010年2月3日、吉若徹取締役が亡くなった。享年55。死因は食道がん。肝臓にも転移していた。最終的な肩書は取締役だが、それまではずっと専務を務めていたので、ここでは専務と記したい。熊本県出身で、人吉高校出身らしい。浅草のサンバカーニバルや祭りの神輿担ぎに何度か参加していたと聞いている。

 吉若専務は、現BCNの創業メンバーの一人で、当初は営業として飛び回っていたそうだ。まれに記事も執筆していた。ビジネスや業界のキーマンの交流を通じ、PCの普及にも陰ながら貢献したのではないだろうか。直属の上司ではなかったけれど、何度か彼の依頼を受けて仕事をしていた。電話をかける際の独特な言い回し、社名のアルファベットと名前を一音ずつ分けてはっきりと読み上げる声は、やはり今でも耳に残っている。

 訃報記事をサイトに掲載したあと、読者の書き込みから、ブログ(現在は閉鎖)の存在を知った。その内容は、闘病日記でありながら、ビジネス活動日記という、とてつもなくアクティブなものだった。直前まで「病気は治る」と信じていた、という点が逆に痛々しい。ただ、病院とのやり取りをみる限り、再発予防のための抗ガン剤治療は失敗ではなかったかと思う。まるで効き目がなかったようだ。

 容体が良くないことは、薄々知っていた。実際はその前の年の12月から良くなかったらしい。早くそのことを知っていれば、父への対応が違っていたはずだ。お見舞いに行くこともできた。専務に最後に会ったのは、2009年の秋。はっきりと覚えていない。まさか最後になるなんで、夢にも思わなかった。心よりご冥福をお祈りします。

 最後に改めて。2010年1月16日、13時8分頃、自宅の玄関で父が倒れ、そのまま逝ってしまった。1936年生まれの73歳。救急車が駆けつけた時にはもう心肺停止状態だったと聞く。市民病院に運ばれ、救命手当てを受けたが、15時4分、それも終わりになった。最後に話したのは、倒れるほんの数分前、12時50分頃。自力では起き上がれないという父の手を引き、杖を渡した。その後、私は自動車を取りに行き、マンションの前でスタンバイしていた。なかなか出てこないのでおかしいな、と思いつつ、数分間、待っていた。病院に行って点滴を受ければすぐに回復するはず-そんな見込みが甘かった。

 反省すべき点、後悔すべき点は多々ある。結局、倒れる瞬間には立ち会えなかった。

 母が気になることを言っていた。亡くなる2日前、気持ち悪いと言い、うなされていた。結婚式で着たウエディングドレスが人に見える、たくさんの人が来た、知らない変な病院に連れて行かれた…。今思えば、未来の自分を予知していたのかもしれない。なぜか泣いていたという。風呂にも率先して入ったそうだ。しかも後になって気づいたが、2008年に故障し、動かなくなった鳩時計の針は、ちょうど父が倒れた時間、1時5分頃を示していた。

 母は「私のせい」だという。2009年に私が結婚して実家を出て行ったからだと責め立てる。私は母のせいだと思う。母親がきちんと病気の父を介護できていれば、もっと長く生きられたはずだ。短いスパンで考えてみても、亡くなるわずか12日前、1月4日の定期検診のあと、「悪性リンパ腫の再発の兆候はありません。肺炎のせいなので近所の専門医に診てもらってください」という主治医の言葉に従っていれば、突然倒れる、なんてことはなかったはずだ。

 自宅で倒れ、通院歴のない平塚市民病院に運ばれたため、事故扱いになり、警察の現場検証が入った。監察医に4万円を払って出た死因は「多臓器不全」。後で調べたところ、解剖せず、原因がよくわからないと、このように診断するらしい。主治医にも何度も何度も「食事が摂れない」と訴えたのに、取り合ってもらえなかった。診断ミス、治療ミス、判断ミス…。人の人生は偶然の積み重ね。

 ひとつだけわかった。元気な「今」を楽しく過ごすことが最大の幸せ。一度病気に罹ってしまうと、完治は難しい。完治しない限り、もと通りにはならない。そして、いくら平均寿命が延びようと、人生は50年、良くて60年だと思った。父は70歳を過ぎてから元気がなくなった。悪性リンパ腫が原因と見られる体重減少・食欲不振が始まったのは2008年2月、71歳の時。それまでは元気だった。2007年は何をしていたのか、思い出してみると、仕事とピアノと「ギアス」だった。後半はピアノ。私の生涯最後の名演奏を聴いてくれた父。録音は残っていないけれど、ほんの数週間だけ、自分でも感動するような演奏をすることができた。

 結婚して変わったことがもう一つ。ピアノを弾かなくなった。そして父との会話が減った。それが死を招いた原因だとしたら…あんなにかわいがってもらったのに、ひどく親不孝な自分だ。結局、自分しか見えない。人の気持ちがわからない。わかろうともしない。病気は嫌いだ。正直なところ、病気の人にどう接してよいのかわからなかった。

 昔から自分が嫌いだった。それ以上に狂った母親が嫌いだ。ほとんどプラスにならない。母がいなくならない限り、私の真の人生は始まらない。始まる前に、自分が病気、事故、天災などで死にそうだ。悔しさだけ抱えて苦しむのは嫌だ。親に干渉されることなく、「自分の人生」を生きたい。

 それにしても、ここ数年、身近でがんで亡くなる人が多い。しかも、発症年齢は、父など数例を除き、ほとんど30~50歳代だ。人生は40年、と考えた場合、残された時間は後数年しかない。

<5行まとめ>
・がんを発症しても、適切に治療すれば、しばらく生き長らえることが多い
・がん手術後もアップルのスティーブ・ジョブズ氏は積極的に活動し、iPhoneをはじめ、数々の製品を発表した
・がん手術後、ブノワトンの高橋幸夫店主は、湘南小麦プロジェクトを開始し、2号店・麦師をオープンした。2009年1月に再発するまでは、特に問題はなく、順調だったらしい
・私の父は、抗がん剤治療後、私の結婚式に出席した(私は結婚し、ウェディングドレス姿を見せることができた)
・人生は平均寿命「80年」ではなく、40、50年と考えるべき。今を悔いなく生きよう

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